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2005/07/05

ドラマ『いま、会いにゆきます』@覚え書き

ドラマ1話を見てからから24時間。
 この間、映画版DVDを2回、観て(もう何十回となく観てるので、ながら観ですけど)しまいました。(ドラマに関係なく最低1日1回は観てるんですけど)
 

 多分、ドラマは映画版を超える事はありえないとやっぱり思ってはしまうんですが、それでも同じ穴のむじな、帰するべきトコロは同じ訳で、否定する事ではなくて、出来るだけ応援するスタンスをとっていければいいんではないかなと思っています。

 ながら観をしながら、オフィシャルサイトの感想ページとか、他のblogの感想とか読んでると、マイナスな意見には凹むし、プラスな意見にはホッとしたり。

 中には、流暢な文章や私的な表現で持論を展開されたりしてると、自分の稚拙な文章が恥ずかしくなったりします。

 張り合えないので、その辺は開き直って、箇条書きにて思い付くままに書き連ねていこうと思います。
 

 んで、感想を分別していくと、当たり前なんですが賛否両論。

・映像に関しては、全体的に好感のある意見が多い。
・好きな人は、役者の好きな人が多い。
・オフィシャルの掲示板は、若い子からの支持が多い?
・好きな人は、映画を観てない人の方が多い?

やっぱり先入観なく見れた方が楽しめたのかもしれないです。
 

否定的な意見は、とにかく多いんですが、気になったものとしては、
 

・夫婦の役どころが若すぎて見える。
・巧の病気があまり出てこなかったので、健常者に見える。
・子役(佑司)の性格が映画と違う。

・その他、とかく映画と比較される。
 
以下、自分なりの解釈になりますが・・・
 

 若く見えるのは、見えるではなく若いから。(劇中で年齢の説明がなかったですしね。映画版を見ていれば違和感を感じるのは当然かもしれません)
 映画や原作は29で設定されていたのが、ドラマは24〜25。
 少し若めに設定されてます。回想も高校ではなくて中学。
佑司7歳の誕生日から逆算すると、高校在学中には佑司がおなかの中にいた事に?なってる?
 この辺は追々エピソードで明かされるんでしょう。
 それでも、巧がどうしても若く見えて仕方ない、違和感を感じるという意見もあるとは思うのですが、中村獅童も、それまではワイルドなイメージで、とてもあんな華奢な役が出来るとは思っていなかったの人が多かったのでは?
 成宮も生真面目な性格の部分はよく出ていたと思うし、違和感を感じた人も、慣れが解決してくれると思います。
 

 巧が病気を背負ってないように見えるのは、ちょっと自分も感じてました。
 映画では最初の方にそれと分かるシーンが入るので、分かりやすかったですが、ドラマは閉所恐怖症気味で車に乗れないという事以外は、軽く流されてしまい、病気はこのドラマの重要な小道具でもあるので、唐突にご都合主義の様に出てこない事を祈るばかりです。
いいように考えると、澪の死んだ後、佑司に負担がかからないように、発作の起きにくい環境を作って、発作を起こさないような配慮をしているのかもしれません。
そ れでも、車を自転車で追っかけているのを見てると、ちょっと違うかな〜、、、。
 それと、ピアスの穴を指摘していたblogがありました。ビデオを見返してみると、確かに、、、。・・・これは、マズいかも、、。
 

 佑司の性格の違いに関しては、映画の巧と佑司は二人っきりで支え合って生きてる感が強く、佑司は父の負担にならない様なものわかりのよい性格になっていると思います。
 ドラマの佑司は、家という家族の空間以外にも、図書館や澪の両親、学校の先生やお医者さんや近所のケーキ屋さんと、人との接点も多く、秋穂家の二人を陽となり影となり助けている様です。
 そんな中にいる佑司は父だけを頼らずに、自分の気持ちを不自由なく吐き出せている感じがします。
 だから、少し我が強かったり、巧の抑えが効かなくなる部分というのは、環境から来ているのではないかと。
 これも憶測ですが、澪の死も、長い病気の末というよりは、突然死に近いもの、または急激な病状の悪化があったのではないかという気がします。
 ビデオや写真の澪はとにかく明るくて、映画の澪は死期の近い状態だと、落ち着いた感じでしたから。はた目には死を感じさせる様な酷い病気ではなかったのではないかと。
 そんな澪に素直に甘えている佑司というのは、想像に難くないです。
 だから、一人っ子な反応だよな〜と、自分は素直に感じてしまいました。

 要は、環境の差が、性格の違いを生んだのではないかと言いたい訳です。
 
 

 映画を初めて観たときも、最初の30分では、再会しただけで感動も何もあったもんではなかったです。

(以下、ネタバレを含むので少し空けます)




































































 それは普通の恋愛映画の皮をかぶって、ありがちとも取れる『泣き』の要素を散りばめて、「なぜ?」の部分を隠し通して、とにかくエンディング近くになるまで騙されてましたから。

 だからドラマの第1回が最初の30分分しか進んでいなければ、もし物足りなさを感じてしまったとしても、物足りないと感じる人がいても当然なんです。自分にとっては。

 でも映画を2回目以降に観ると、同じシーンが全く感じが違うシーンに見えてしまいます。
 最初、ただの物語の起点でしかなかった澪が帰ってくるシーンの、意味の深さを分かってみると、こみ上げてくるものが止まりません。

 そう、話が別の方向に走ってしまいますが、見返して気が付いたんです。
 澪の帰ってくるシーンは、映画とドラマでは大きく違っています。
 

 映画は、巧が目をつぶって、願う様なシーンの後、澪は帰ってきます。
 ドラマは、巧ではなく、佑司が願う事、行動を起こす事で澪は帰ってきます。

 映画は、ニワトリが先かタマゴが先か、どちらの想いでこの奇跡が起きたのかがパラドックスのようになっていて、2回目以降に観ると、二人の想いの強さの同じ加減が表現されていいのですが、
 ドラマの表現だと、想いの強さは、澪=佑司、澪>巧という感じになっていて、ストーリーの裏の部分との繋ぎがイマイチ弱くなってます。
 澪と巧の二人の気持ちが不等号でいるのは、見ていてちょっと悲しい気分です。

 第2回のあらすじからすると、巧が澪を受け入れられない部分というのが出てくる様なので、ストーリー上の仕様という事なのでしょうか?
 確かに映画のように無条件で受け入れてしまえば、話が広がらなくなる事は確実なので、こういう選択にならざるを得ないのかもしれないですが、できれば澪が帰ってくるシーンは、ダメ元で巧が願ってくれる様なシーンが、少しでも・・・本当に少しでも入っていれば・・・よかったかも。
 あのシーンを最初、映画にも負けないぐらいキレイなシーンだと思っていたのに、そういうのに気が付いてしまって素直に観れなくなってしまったのは、ちょっと自己嫌悪。
 
 

今日は、ここまで。

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» ドラマ 日曜劇場「いま、会いにゆきます」 [musi-k 〜ムジーク]
●プロデュース … 伊與田英徳 ●演出 … 平野俊一 山室大輔 大岡進 ●原作 … 市川拓司 「いま、会いにゆきます」 ●脚本 … 飯野陽子 篠崎絵里子 ●潤色 … 岡田惠和 ●音楽 … 妹尾武 ●主題歌 … 「キズナ」 ORANGE RANGE ●出演 … ミムラ 成宮寛貴゜本綾 MEGUMI ..... [続きを読む]

受信: 2005/07/11 00:17

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